昭和35年に入社され、大倉陶園の歴史とともに歩んで来られたデザインアドバイザー・前田一馬氏にお話を伺いました。前田氏は吹上御所用品のサワギキョウ食器揃え、日本国迎賓館食器揃え、さらにホテルやレストランのVIP用食器などを数多く手掛け、現在も活躍されています。 「大倉陶園は、ノリタケ(当時:日本陶器合名会社)という名門の陶磁器会社がありながら、さらに自分の本当に創りたいものを創る、という信念で大倉孫兵衛氏が創った陶磁器工場です。最初に工場建設と経営を任された日野厚さんは元々デザイナーでもあり、当時からデザインに重点を置いた、まずデザインありきの会社だったと思います。」大倉家の“道楽”として、他には資金など一切の迷惑をかけず、私財を投じて運営する、と決めた創業者・大倉孫兵衛氏の本心は、他人の資本が入ると思う事ができないという事にもあったのかもしれません。実際、100個創って完成品は1つという事もあったとか。本当に納得したもの以外は完成品として認めない、そのこだわりこそが、真の“道楽”なのかもしれません。 大倉独自の技術についてもお伺いしました。 「窯業というのは産業として一番古いですし、ある程度成熟した産業です。ただ、“大倉ホワイト”と言われている陶磁器のように、カオリンを多く使った生地は、独自のものです。 大倉陶園で創られる陶器の原料は、カオリン・珪石・長石の3種類のみ。白を出すのに重要なカオリンは高価なものですが、それをふんだんに調合し、珪石・長石も極めて良質なものにこだわっています。それを、世界最高温度(1460℃)で焼き上げる技術によって、その白さのみならず、硬さや肌のなめらかさがうまれるのです。」
「大倉の白を守るため、その生地の調合技術は変わりませんし、装飾技術など伝統的な技もすでに完成されています。でも“技術”と“技能”は違います。ハンドペイントも蒔き絵も原形を創作するのも、やる気とセンスが必要です。最初の頃は注文や展示会用が主でしたから、技術的なことはもちろん、さらに芸術性といった作り手の技能と技量が試され、ものを言ったわけです。
それが出発点ですから、ただ陶磁器を作るのではなく、美術品を作りたいという創業者の気持がずっと繋がっているんだと思いますね。」 既に最高レベルの技術を持っている大倉陶園にとって、技術とは変わらず受け継ぎ応用していくもの。でも技能とは、その技術を使って他に替えられないものを作る能力と言えます。例えば絵付けの場合、手書きの絵付け作業は量産を考えると分業体制が通常ですが、大倉陶園では一人のぺインターが最初から最後まで描きます。
その作業は卓越した少人数のぺインターで行うため、ひとつ完成するにも時間がかかりますが、そこには絵付けという技術に加え、より良い作品を完成させようという技能が生きているのです。 「漆蒔(うるしまき)は、多分吹き付けでもできるんですよ。でもうちではすべて手作業です。ですから、絵の具のロットや湿度、また作る人によっても多少の違いが出てきます。でもそこがいい、そのほうが味があるんですよね。料理と同じで心がこもってないと、吹き付けでは無機質な冷たい感じになってしまう」
大倉らしさとはなんですか? という質問に前田氏は「伝統とは常に革新だと思います。大倉は新しいものに挑戦し続ける。それが大倉らしさだと思います。富本憲吉(近代陶芸の巨匠)は、“模様から模様を作るな”と言いました。また魯山人(北大路魯山人・きたおおじ ろさんじん)は“物事はすべて真似事、どこを真似るかが肝心”と言いました。どちらも正しいと思います。だいたいもう全てのアイデアは出尽くしているのかもしれませんが、例えば古い出典からヒントを得ても、それをその人なりにどう活かすか、どう新しいデザインに還元させるかが大切です。」 それはデザインのプロセスも同じと、前田氏は言います。「パソコンで図案を考えたりすることも、私は悪くないと思いますよ。パソコンは便利ですし、道具のひとつです」 と。最後は人の手によって創り上げられる、その美術としての完成度と創り出す技術に自信があるからこそ、言えるのではないでしょうか。「ただし革新の根底にあるものとして、一貫して言えるのは“品格”です。形にも絵柄にも“品格”がないといけません。それがなかったら、皇室などから御用を賜る事もなかったでしょうし、その誇りは持ち続けていきたいですね」 最後に「一体になって、いいものを創りたいという気持が大切ですね。大倉は“技能と技量プラス心”です」真っ白の陶磁器に描かれる、美しい絵柄。見ていて心を打つのは、その素晴らしい技術力だけでなく、作り手の心が入っているからだと実感したお話でした。
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