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特集 スペシャルインタビュー 奥山峰石 第二話
スペシャルインタビュー第一回 人間国宝 奥山峰石 生命を宿す「鍛金」の力 感動を器に表現する人間国宝・奥山峰石 第一話 「鍛金との出会い編」
第一話 「鍛金との出会い編」 第二話 「作家への道編」
鍛金作家として40年以上。
イメージ写真 奥山氏と器

奥山氏が、芸術としての鍛金創りをはじめたきっかけは、オイルショックでした。
「40歳のころ、オイルショックで仕事の依頼が日に日に減っていったんです。ひとり分の仕事しか来ない時期で、若い弟子にそれを回して、あまった時間で、自分はお猪口と徳利のセットを作ったんです。何と、それが『日本宝飾連合会』のコンクールで賞をもらった」。
最初は驚いた奥山氏も、それを機に、創作の道を歩み始めます。

「39歳。今から芸術家を目指すのは、遅いんじゃないか…。悩みましたよ」。 遅くはない。やってみろ。そう励まされ40歳で、田中光輝氏に鍛金師事。作家への一歩を踏み出したのです。
「もしも芸術を目指すことなく、職人のままでいたら、商品を売ることだけに躍起になって、作品を残す術を知らずに終っていた」と、奥山氏は言います。

作品コラージュ画像 「庄内の晩秋」「秋燃ゆる」「朧銀鉢」

自分の名を刻み、残すこと

その後、着々と技を身に付け、腕を磨き、芸術家への登竜門とも言える『秋の伝統工芸展』に作品を出展する奥山氏。しかし、4回連続で落選。
「ああ、やっぱりだめか。金にならないものを作って何になる。もうやめようか…。自分の中で、さまざまな葛藤がありました。でも、中学しか出ていない私のような人間が、世に名を残すには、こういうことしかないのかも知れない。商品には、自分の名前を刻むことはできないのだから…」。
そう思い、本気で挑戦した5回目の作品で見事入選。昭和57年、『日本伝統工芸武蔵野展奨励賞受賞』という快挙を成し遂げます。


職人の技を注ぎ込んだ作品たちが、

当時の奥山氏の作風は、きりっとシャープな幾何学模様の鉢ものが中心でした。
「余分なものをとことんそぎ落とし、外も内も磨きをかけてシンプルに、力強く。そこに、職人時代から培った技術を生かして仕上げた作品でした」。
以降、秋の伝統工芸展に毎回入選を果たし、作品も、線と面の変化に富んだものへと進化していきます。

作業中の奥山氏 写真

愛してやまない作品たち
ペーパーナイフ 画像

機械化が進む中、すべてが手作業で作られる奥村氏の作品たち。 「機械では出来ないことを手でやっているのです。原形となる型を作るだけでも、機械で作ろうとすると型代だけでも大変な金額になるでしょう。器に施す模様や細工は、機械を使えば、何千万単位の高額になってしまいます。それに、いくら投資したとしても、ひとの手作業のような温もりのある作品は出来上がりません。作品には、創り手の思いと膨大な時間、そして情熱と夢が込められているのです」

奥山氏のアトリエには、代表的な作品が多数飾られています。また、ご自身で愛用されるビールグラスやスプーン、ペーパーナイフなど、身の回りのものも、ときおり制作され、暮らしの中で、作品を使い、楽しんでいらっしゃいます。
その、ひとつひとつに注がれている情熱。 手にとるごとに、使う側にもゆっくりと、ぬくもりが伝わります。

グラスとポット 写真

プロフィール

奥山 峰石(おくやま・ほうせき)
昭和12年 山形県新庄市生まれ
平成7年 重要無形文化財保持者認定
日本伝統工芸展鑑審査委員
現在、東京都北区名誉区民
山形県新庄市名誉市民

奥山 峰石氏による、当社オリジナル商品は
第一話 「鍛金との出会い編」 第二話 「作家への道編」


 
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