その後、着々と技を身に付け、腕を磨き、芸術家への登竜門とも言える『秋の伝統工芸展』に作品を出展する奥山氏。しかし、4回連続で落選。
「ああ、やっぱりだめか。金にならないものを作って何になる。もうやめようか…。自分の中で、さまざまな葛藤がありました。でも、中学しか出ていない私のような人間が、世に名を残すには、こういうことしかないのかも知れない。商品には、自分の名前を刻むことはできないのだから…」。
そう思い、本気で挑戦した5回目の作品で見事入選。昭和57年、『日本伝統工芸武蔵野展奨励賞受賞』という快挙を成し遂げます。
|