最初は、東京で芸能界に入りたい、そんな淡い夢をも胸に秘めていたという少年時代の奥山氏が「生きるため」にはじめた鍛金。しかし、ひとたびその世界に足を踏み入れてみると、そこには好き嫌いや、自分に合う、合わない、といった選択肢は存在しませんでした。ただ毎日、休む暇なくひたすら働くだけの日々があるだけだったのです。
「毎日、朝6時に起きて、掃除と仕事の段取りを済ませ、食事をする。その後、昼休みを除いて、夜9時頃までずっと仕事をしているんですよ。洋食器の注文が多くなる年末は、夜中の2時、3時まで残業することもしばしばでした。いつ辞めようか、もう、そればかり考えていました。山形の実家で農家をやっていた方が、よっぽと楽でした(笑)」。
ーひとつの仕事が、生涯の仕事になりうるかどうか。それは、どんなに辛いときでも耐え抜いて、やり通すことができるかどうか。ただそれだけー。
これは、奥山氏が鍛金の世界に入った後に見つけた答えです。 |