ご利用ガイドお問い合わせ
HOME > 特集 > スペシャルインタビュー

I・E・I オンラインショプとは
ログインはこちら
新規会員登録
ダイレクトメール・カタログからのご注文
新聞・雑誌の広告をご覧になってのご注文はこちらから
メールニュース登録・解除
会社案内
使ってヨカッタオンライン
お電話でのお申し込み、お問い合わせ フリーコール 0120-247-417(毎日 朝6:00〜夜9:00)※携帯電話からもOK
JADMA
特集 スペシャルインタビュー 奥山峰石 第一話
スペシャルインタビュー第一回 人間国宝 奥山峰石 生命を宿す「鍛金」の力 感動を器に表現する人間国宝・奥山峰石 第一話 「鍛金との出会い編」
第一話 「鍛金との出会い編」
鍛金による鉢、花器、菓子器を手掛ける人間国宝、奥山峰石氏。すべて手作業による繊細な柄、打ち出しには、見るものを感動させる「生命力」があります。鍛金の魅力とルーツを探るべく、奥山氏のアトリエを訪ねました。全3シリーズで、伝統工芸の素晴らしさをお届けします。
イメージ写真 奥山氏と器

そもそも鍛金とは、金属の板を木づち・金づちで打ちながら器物を形作る作業のこと。 また鍛金は、打つ段階で金属の亀裂を防ぐために、熱処理を加え、金属の柔軟性・弾力性を回復させながら行われます。

15歳で洋食器メーカーに奉公 生きるために鍛金職人の道へ

鍛金の技術は、古くから仏具・武具・茶器などの制作に利用されてきました。 実は、人間国宝・奥山氏が鍛金をはじめたいきさつも、最初は芸術品を作るためではなく、暮らしに密着する実用品を作るためでした。 ご本人いわく、「生きるため、生活のために鍛金をはじめました」。ストレートな一言が返って来ました。奥山氏は、わずか15歳で故郷・山形の親元を離れ、上京。洋食器を作る銀器食人に弟子入りをします。

奥山氏 写真 

「その頃の私にとって、金や銀と言えば“高いもの”、というイメージしかありませんでした。はじめてピカピカの食器を見たときには、なんてきれいなんだろう、こんなものが自分でつくれたらどんなに楽しいだろう、と思ったのを覚えています」。


器 写真

最初は、東京で芸能界に入りたい、そんな淡い夢をも胸に秘めていたという少年時代の奥山氏が「生きるため」にはじめた鍛金。しかし、ひとたびその世界に足を踏み入れてみると、そこには好き嫌いや、自分に合う、合わない、といった選択肢は存在しませんでした。ただ毎日、休む暇なくひたすら働くだけの日々があるだけだったのです。

「毎日、朝6時に起きて、掃除と仕事の段取りを済ませ、食事をする。その後、昼休みを除いて、夜9時頃までずっと仕事をしているんですよ。洋食器の注文が多くなる年末は、夜中の2時、3時まで残業することもしばしばでした。いつ辞めようか、もう、そればかり考えていました。山形の実家で農家をやっていた方が、よっぽと楽でした(笑)」。

ーひとつの仕事が、生涯の仕事になりうるかどうか。それは、どんなに辛いときでも耐え抜いて、やり通すことができるかどうか。ただそれだけー。

これは、奥山氏が鍛金の世界に入った後に見つけた答えです。

器 写真

鍛金の世界に入って、今年で53年目を迎える奥山氏。 「好きとか嫌いとかで、望む仕事に就ける人は、そういないものですよ。辞めたい、と思いながらも、不思議と私に他の職を紹介してくれる人もいなかった。辛い、と思いながらも、鍛金で50年以上も生きて来たわけで。今振り返れば、それこそが “運命”というものなんだ、と思うのです」


結婚そして独立 優勝カップを創る喜びが意欲に

25歳で所帯を持った奥山氏。 「27歳で独立しました。上野に部屋を借りて仕事場にしたのですが、鍛金は、ものすごい音で金属をたたくでしょ。うるさいんですね。しばらくして、出て行ってくれと言われ(笑)、谷中に引越し、それからは、年に2回しか休まず働きましたね。食べさせていかないといけないわけで、必死でした」。

働きずくめの20代。でも、それが苦になったり、大変だとは思わなかったと、おっしゃいます。 「その頃は、よく優勝カップを作っていましてね。ゴルフのトロフィーが多かった。自分でも、その頃から興味を持っていました。実際に、はじめられたのは、時間に余裕ができた60代になってからですが(笑)」。 優勝カップのデザインを考案し、仕上げることで生計を立てていた奥山氏。当時のビッグコンペの優勝カップを、数多く手がけています。 「全日本オープン、NHK杯、目黒記念や天皇杯など、競馬や競輪のトロフィーも作りました。優勝カップをもらった人の、喜ぶ顔を思い浮かべると、作りながら、こっちも幸せな気持ちになるものです」。 「仕事」に、好き嫌いはない。 何をやっても、仕事は大変なもの。でも、創ることの喜びを感じはじめたこの頃から、奥山氏の仕事の方向性は、少しずつ、芸術へと向かいはじめていました。

優勝カップ 写真


プロフィール

奥山 峰石(おくやま・ほうせき)
昭和12年 山形県新庄市生まれ
平成7年 重要無形文化財保持者認定
日本伝統工芸展鑑審査委員
現在、東京都北区名誉区民
山形県新庄市名誉市民

奥山 峰石氏による、当社オリジナル商品は
第一話 「鍛金との出会い編」


 
会社概要 | 個人情報の取り扱いについて | サイトマップ Copyright(c) Imperial Enterprises Inc. All Rights Reserved. I・E・Iはインペリアルエンタープライズ(株)の略称です。