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特集 プリンストン通信 第7回
プリンストン通信

第7回 マンハッタンのハーレムを訪ねて 「ハーレムのピカソ フランコ・ザ・グレート」2話

こんにちは、I・E・Iプリンストン支社の裕子です。
今回からハーレムで活躍されている画家フランコさんのインタビューをお届けします。
アポロ劇場
コメント:フランコさんの描いたキング牧師。毎年1月の第3月曜日はキング牧師をたたえる記念日で祝日です。
■フランコさんが到着された当時のハーレムと現在のハーレムの違いは?

私がハーレムにやってきた頃は、黒人に対する偏見が強く人種差別が顕著でした。 全ての商店がユダヤ人で経営され、1軒だけ黒人が経営していました。白人経営のお店では黒人は雇用されず、黒人は消費者でした。当時、キング牧師、アダム・クレイトンパウエル、マルコムX、カーマイン、ブラック・パンサーなど、それぞれに異なるスタイルを持つグループが、みな公民権獲得のために戦っていました。キング牧師が暗殺されたことがきっかけで黒人は怒り、もうこりごりだ、もうたくさんだと思い、状況を変えていこうとしたのです。

そして、「黒人にもビジネスのチャンスを」という気運が高まり、黒人が経営する商店が増え、「BUY BLACK」という表現を用いて奨励されました。
しかし、実際は黒人が経営しているように見せかた白人所有の商店ばかり。しかも、この見せかけの経営を続けるにはコストがかかりすぎるということで、結局は元の状態に戻っていきました。そのうちに韓国人、中国人、ヒンズー教信者、インド人たちがやってきてチャンスを掴みましたが、それでも、黒人にはまだ成功する機会がありませんでした。

私が成功をつかんだのは、キング牧師が暗殺された時のことです。125丁目で暴動が起こり、その騒動の後、商店主たちは店を守るため鉄製のシャッターをつけ始めました。その殺風景なネズミ色のシャッターに、私は絵を描いたのです。

現代のハーレムの状況は少し違っています。政府がこの地域に興味をもち、以前よりもっと多様な対応を示すようになってきました。

コメント:フランコさんの描いたアポロ劇場

以前は、ハーレムは怖い所というイメージばかりが一人歩きし、政府もハーレムを修復・再興する気はありませんでした。そして旅行者がニューヨークを訪問しても、ハーレムは危険だから行くなと警告していたのです。本当は、お金を使って再開発したダウンタウンと同じようには、ハーレムにお金を使いたくなかったのです。 しかし、9.11の後、大きな変化がやってきました。政府は、ダウンタウンよりハーレムがあるアップタウンの方がより安全だと認識したのです。その後、ハーレムに気が狂ったように投資し、再建を始めます。今では大型の商店やブランドがすべて揃い、この125丁目だけでも20もの銀行ができました。
■では、いつ頃からハーレムは危険でなくなったのか? どのようにして危険でなくなったのでしょう?

私自身の経験からいうと80年代の初めです。私が商店のシャッターに絵を描き始めた頃、
観光バスが時々やってきました。しかし、観光客は危険だからといってバスから降りて来ませんでした。ツアーガイドが私にバスの方にきて、外国観光客に挨拶をするようにと言うのです。おかしいでしょう?まるでサファリパークの動物のように感じ、私はとてもいやな気持ちになりました。

どうにか状況が変わるように祈りながらもこの状況は2〜3年続きました。そのうち私の祈りが通じたのか、私はテレビや雑誌、新聞のメディアで取り上げられ始めました。旅行者たちはバスから降りてきて、ハーレムの美化に無料で貢献している私に会うようになったのです。私は壁画を通してハーレムに貢献し、また、コミュニティーにこの贈り物を捧げることが出来ることをとても誇りに思っています。まったく後悔はしていません。希望していたように、私個人にとっても多くの扉が開かれました。コミュニティーの中で有名になることで、外国から招待を受けるなど、多くの機会に恵まれるようになりました。私にとってシャッターは、絵を描くことが可能なミュージアムなのです。

ハーレムも世界的に知られ、魅力的な場所になってきました。コミュニティに住んでいる人たちや街の雰囲気をはじめ、多くのことがこのハーレムの魅力の原因になっています。ジャズ、ソウルフード、ゴスペル、ファッション、ダンスなど、黒人が持っている素晴らしい味わいがハーレムの多様性を作り上げており、私もこの一部であるということをとても誇りに思っています。

今、世界はここにあります。観光バスは毎週やってきます。ここが観光旅行のアトラクションになっています。住民より観光客の方が多いくらいです。
例えば毎週日曜日、教会には世界各地から観光客がやってきます。125丁目に観光バスが停まり、観光客はバスから降りて自由に歩き回り、買い物を楽しみます。

 
実は、観光バスが最初に停まるのは私のところなのです。私は観光客を歓迎し、一緒に写真撮影をし、サインをして、私のポストカードを購入してもらいます。私は常にハーレムを宣伝しているのです。
■ところで、ハーレムでシャッターに絵を描く前は、どういう絵を描いていらっしゃったのですか?

シャッターの前は、キャンバス、ヴェルベット、壁などに描いていました。多くの主題は黒人が中心でした。わたしはニューヨークではじめて黒人絵画を紹介した内の一人です。70年代、80年代のニューヨークではヨーロッパの絵画が中心。しかし、私は黒人のアートもきっと受けいれられるだろうと確信していました。そして、私のもくろみは自分でも驚くほど当たりました。
アポロ劇場 次回のプリンストン通信(3月7日UP予定)で、
フランコさんの複製画のプレゼントを実施します。
ご期待ください!


 
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